洋書、時々プログラミング

博士課程修了→メーカーという経路を辿っている人の日常

大人になる=宝くじを買う人の気持ちをわかるようになる

実家に帰省したとき、親が年末ジャンボを神棚に置いていた。毎年の恒例行事である。毎年10枚程度購入しては、当たった気分になっている。期待値的に当たる可能性は少ないと自分や兄弟が言うと、「そんなことを言うなら当たっても1万円しかあげないよ」と言われる。結果についてはお察しである。

毎年なんで買うんだろう、どうせ当たらないのにと思っていたのだけれど、最近になって少しずつ分かるようになってきた気がする。人間は夢を見たい生き物なのだ。親も賢いから、当たることは滅多にないと思っている。だけれど、当たったときのことを考えるのが楽しいのだ。

なぜ分かってきたのかというと、自分も年齢を重ねるにつれて自分に夢を見ることが難しくなってきたからなのかもしれない。自分のこれからを楽しみに思えるのなら別に宝くじを買わなくても夢は見られる。だけれども成長するに連れて自分の進む道が明確になり、将来が見えてきてしまうからだ。とするとその将来を変えてしまうようなもの、大金に夢を見るのが自然なのかもしれない。

ここまで考えて、宝くじに夢を見ることは良いけれど、夢を見すぎて自分の将来を見失うことにならないようにしたいと思うようになった。まだ宝くじに夢を託すには50年くらい早いと思うので、目標に向かってなんとかやっていきたいと思う。目標が変わって行くこともあるだろうけど、その変わった目標の中であがく自分を自分だけは褒めてあげたい。