洋書、時々プログラミング

博士課程修了→メーカーという経路を辿っている人の日常

先輩力=国語力と思った日の話

仕事をしていると、在宅勤務の先輩からチャットで依頼が入ることがある。そのチャットの中には

「ちょっと俺君、いつものやつを送信してくれないか」

というような老夫婦のようなチャットが飛んでくる。そしてイラッと来るまでが定形となる。

冷静になってなんでイラッとくるということを分析したのでこれからの自分のためにもメモ。

こういう老夫婦のような会話というのは相手に解釈を残してしまうことが問題になる。いつものやつって書類なのかスライドなのかというような感じで行動に至るまでに受け手側の解釈が必要になる。そうすると受け手側としてはそれまでの仕事の文脈を踏まえてどれかを判断するという余計な手間が必要になってしまう。

受け手側からするともう一つイラッと来る点として、先輩の不誠実さ・甘えを感じることになる点がある。このような受け手に解釈をさせる依頼というのは情報を増すなどの依頼を出す側のちょっとした気遣いで防ぐことができる。解釈に広がりのある依頼というのはその気遣いをしなかったという依頼側の怠慢が受け手にすぐに見えてしまうのかなと思う。

受け手から見て解釈がある文章=依頼側の怠慢と直接つながる訳ではないということは注意しておく必要がある。というのも人間同士背景知識は違うので、どんなに指定したつもりで書いても受け手からするとわからんということは往々にしてある。だけど情報の量を見れば書き手が考えて書いたということは伝わるので問題にならない。その後の会話を通じてお互いの背景に対して深めることができればそのうち話が通じるようになる。ただ前に述べた例では依頼側がそれを放棄しているとも言えるので、こういった努力すら無意味に感じさせてしまう点が仕事の上で問題となりそう。

複雑な仕事は曖昧な依頼になりがちではあるが、それは仕方の無いことである。ゴールに至るまでに色々なことを明確にしていくということをお互いに合意できていれば良いと思う。業者の選定基準の決定とか、一つずつステップを経て一つずつ明確にしていく感じ。

こういった思考を踏まえて、本当にイラっとくる依頼というのは、「単純な依頼に対して解釈の余地がある言葉で依頼を出すこと」なんだと思う。お前言葉に甘ったれんなということですね。こういった言葉に敏感になることこそ国語力が必要になるんだろうなということでタイトル回収。

今後自分にも後輩ができると思うけれど、明確な言葉を使っていくように努力していきたいと思う。