洋書、時々プログラミング

博士課程修了→メーカーという経路を辿っている人の日常

細かいところを間違えると信頼を失うという話

デジタルを専門とする部門が新設された。その部門が自分たちを紹介するために社内報で記事をかいてくれているのだけれど、その中でPythonのことをPaithonと書いていたのを見て部門に対する期待感が萎えてしまった話。

なんで萎えたかを考えてみると、そこはプロなら間違えんやろ基本という所を間違えられたからだと思う。デジタルを専門とする部門はプログラミングこそが商売道具なんだから、文章を書いていてもそこは責任持って書いてほしいと無意識に思っているのだと思う。人間間違えるものだからしょうがないと割り切ることも大事なのかなとも思う。

自分の仕事に当てはめて考えてみると、報告書を書く時にそういう所まで気を配ることこそが信頼につながるのかもしれないとも思う。専門とする所が無かったとしても句読点や用語の使い方と言った細かい所について正しく使うことで読みやすくなり、上司から信頼されるようになるのかもしれない。

新人の頃は細かい文章の使い方にネチネチ言ってくる上司がいたけれど、今振り返るとあれはこういうことに気がついていて、矯正しようとしてくれていたのかもしれない。だとしたらちょっとだけ感謝しておこう。まぁ許せないことも色々あるけれど。

これから自分は後輩を指導する立場となっていくのでこの点をどうやって指導するかということも今のうちにちょっとずつ考えていく必要があるだろう。後輩も昔の自分のように細かい所を言われるのは嫌かもしれない。そういう時にどうやって指導していけばいいのかと少し悩む。言わないという選択は無いと思うので神は細部に宿ると言われてもなかなか実感は湧かないだろうから、やはり体験談を交えながら納得してもらうのが良さそう。何回か言ってダメだったら諦めても良いかも

細かいミスが許されることがあるとすれば、締切よりも早く出した時だと思う。もちろん限度はあると思うが、早く確認してもらいたいという気持ちの現れとして理解がされる可能性はある。ただ早く出して評価を上げるチャンスがあるならば、細かい所までしかりと見てきっちりとその機会を使うべきだとも思うけれど。

他人のことばかりとやかく言ってもしょうがないので、自分が同じような立場になった時にこのことを忘れないで他人に見せる書類を書いて失望させないようにしたいと思う。そして細かい所ではなくて文章を読んでもらうことで納得してもらえたら良いと思う。これからはその足切りのような細かいミスについても妥協せずに見ていこう。

入社前にしておいた方が良いことへの答えの意味について

学生向けの会社説明会で先輩社員として呼ばれることが多くなった。その時によくある質問として「入社前にやっておいたほうが良いことってありますか?」がある。今までは「学生のときにしかできないことをやっておきな」と答えていたのだけれど答えている自分にもピンと来ていなかったことは分かっていたのでもうちょっと深堀したいなと思ってずっと考えていた。最近ようやく答えが見えてきたのでメモがてら残しておく

結論としては「損得かかわらずに自分の好きなことに夢中になって打ち込む経験をしてほしい」ということなんだと思う。この経験は仕事を完成させるという意味において大きな意味を持つ。新しいプロジェクトに関わるとその新しさについていけずに周囲からは応援されず、むしろ反対されることが多い。その時にプロジェクトを続ける原動力の一つとなるのは、そういった反対の声に耳を傾けず、自分が良いと思ったことに対して夢中になることなんだと思う。こういった狂気じみた精神が無ければ新しい良いものはなかなか生まれない。

社会人になってから年を取るにつれて家族や自分の立場など守るべきものが増える。その時にこの夢中になる経験をできていないと守りに入ってしまいがちになると思う。夢中になることについて初めての経験として怖がってしまうからだ。もちろんそれが良い方に働くこともあるけれど、新しいことをできない人間は錆びていってしまう。

ここで見方を変えて新人を夢中にさせ続ける環境を作るのは誰の仕事なのかについても考えようと思う。これは上司の仕事だと考える。自分で環境を作ることは大事だけれど、プロジェクトを先導している上司こそ、その意義と完遂した先の世界を後輩に語ることで同じ目標に夢中になって邁進させる責任があるのではないかと思う。

夢中になってプロジェクトに取り組むことができるとそこには絶対に成功させるという執念が生まれる。この執念こそがプロジェクトの成功に必要な最後の鍵だとも思う。はじめから計算され尽くして決められたレールの上だけを進むプロジェクトなんてなかなか無い。ある時には順調だけれども、ある時には中止寸前まで追い込まれるような波のあるプロジェクトの方が普通である。順調な時は誰がやっても良い。大事なのは中止寸前の時に諦めないで執念を持って取り組み、土俵際でとどまり続けて追い風を待つことにある。この土壇場での粘りは執念、夢中からしか生まれない。

こう考えると冒頭の「学生の時にしかできないこと」の一つの答えは「夢中になり、周年を持って目標を追い求めた経験」とも言えるのでは無いだろうか。ゲームでもなんでも良い、目の色を変えて一心不乱に取り組んだ経験のある後輩が来年度入ってきてくれることを楽しみにしたい。

システム導入の本番は導入ではなくて運用ではないかという話

今の会社に入社してから数年、その間に色々な変化があった。その中で毎年のように常にあったことは新しいシステムの導入である。今のシステムは古いから新しい承認システムを導入します、今のシステムには問題点があるから新しいシステムを導入しますなど色々理由をつけて新しいシステムを導入している。別に導入することに文句は無い。新しいものを導入して効率化できるのであれば幸せになるだろう。だけど実際は新しいシステムを入れたことでなぜだかシステムが複雑になって手間が増えて皆不幸になる。なぜなのか。

その答えの一つとしてシステムの導入までが目的となってしまい、システムの運用による課題解決が目的の範囲から外れてしまう点にあると思う。往々にしてシステムの導入には多額の金が発生するため、重役の稟議などを通す必要がある。導入を担当する人としては、稟議さえ通れば発注がかかりシステムが構築され自分の仕事は完結する。そしてやるべきことをやったとみなされるために自分の評価が上がっていくとなる。そのため仕事の向く先は稟議を審議する上司となる。

しかし実際にシステムを使う人は上司ではない。ここに食い違いが出てくる。運用をして課題を解決するのであれば本当に話を聞いてお伺いを立てるのはそのシステムを使って業務をする人たちである。その人たちに現状の業務においてどのような障害があるのかということを聞くことがシステム導入・運用業務の本当のスタートである。現場を観察して仕事の流れを理解しないで自己満足でシステムを導入してしまうとその時は楽かも知れないがその後10年以上よくわからないシステムを操作するための時間だけが浪費してしまう。

イオンにレジゴーという仕組みが導入された。スマホのカメラに商品のバーコードをかざして歩きながら会計を行う仕組みである。この仕組み自体はとても良い仕組みだと思う。だけど実際に導入されていたので使ってみたら以下の点でかなり使いづらい代物だった。まずスキャンされる範囲が狭くてなかなかバーコードを読み取ってくれず、買い物に時間がかかってしまう。会計の際にもバーコードを読み取ったか分からなくなってしまい、勝手に万引き扱いされてしまうような不安が拭えない。その他、バーコードのない製品を選択しなければならないなど色々と不満がたまるシステムだった。この技術は改善していけば良いと思う。しかし改善前のこの状態でGOサインを出した人は多分イオンに来る買い物客のことを理解していなかったのではないかと思えてしまうのである。

今システム導入を担当している人は一度立ち止まって以下のことを考えてほしい。(1)そのシステムは誰が使うものか? (2)システムを使う人の業務を理解しているか? (3)システムを使う人から要望を聞き出しているか? (4)可能であればシステムを一度使ってみてもらえないか? (5)1-4を踏まえて運用まで考えて仕事ができているか?こういったことを考えて導入したシステムでも完璧になることは無い。だけども少しはまともなものが出来上がるし、その後の改善も楽になる。今自分が担当しているシステムについてもこの考えを忘れずにしっかりと励んでいこうと思う。